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現実と魔法の距離とか

きのう、感想日記に書いた、
聖なる島々へ <デイルマーク王国史2>
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 田村 美佐子



のことなんですが。
感想はあれでだいたい終わりなんですが、中で「家族関係の現代的なリアルさが異世界ファンタジーに描かれているのに違和感」を覚えた、というようなことを書いたのがひっかかっていて、なんでそんなことを感じるのかなーとつらつら思いめぐらせていたのですが、うまい理由が浮かんでこないのでなんとなく感じたことを。
まず、なんとなく思うのは、私が異世界ファンタジーに期待しているのは、改善の難しい現実とは離れた、完璧にではなくてもそれなりに解決策の見つかる世界であるのかなあ、ということ。
舞台が異世界であるという時点で、卑屈な現実とは無関係なリアル感が保証されているような気がしていた、ということか。たとえば、もっと英雄物語的な高潔さとか、悲劇性とか。で、それが裏切られたので、しっくりこない、のか。

異世界ファンタジーとしての期待を外して読むと、今回の母親の禁治産者ぶりとか、父親の無責任とか、そうした人間的な欠点の描かれ方は、なんとなくエブリディマジックとかマジックリアリスムとかのものに近いような。つまり、デイルマークは異世界であっても現実にごく近い異世界ってことか。

だから、異世界ものならばわりと当然な感覚で受けとめる魔法の出現を、特別なことと感じる度合いが大きかったのかも。
つまり、「読み手の現実→異世界→魔法」と段階を踏んでいるはずの異世界ファンタジーで、読み手と異世界の距離がとっても近いので「読み手の現実=異世界→→魔法」となって、読み手が魔法と出会うために必要な、一度の飛躍の距離が大きくなったってことなのかな。

けれど、この話は現実から異世界へ赴く話とかマジックリアリズムとは違って、話全体に厳然と神話の影が落ちているのがわかる。神話の世界と現実の世界が二重構造になっていて、それがはっきりと描写されてる感じがする。

と、ここまでたどったところで、おい、これって私がやろうとして失敗しつづけていることじゃないのか、と気づきました(汗。
そうか、そうだったのか。
だから、“哀れなアメットさん”がでてきたときに「やられた!」と思ったんだ。
なるほど……>気づくのが遅い。

私がもっと理性的で理知的で、精神的余裕と構成力のある書き手だったら、『天空』はこういう感じの話になっていた……のかもしれないわけだ。
いまはとりあえず書き上げることだけを目標にしているので、話の基調はぶれまくりですが、当初の構想ではそうなっていたはず。
いま、そのもくろみ通りに書けている所って、神官長のパートくらいかなあ……(遠い目)。
なので、もし神官長の出番がお好きな方がいらしたら、『聖なる島々へ』おすすめです(笑。

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