『「トゥーレの王」とローレライ』
「トゥーレの王」とローレライ
エルンスト・ボイトラー 山下 剛


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読了。
ドイツロマン派詩人たちの系譜をローレライ神話を軸に考察する、ドイツ人ゲーテ研究の大家によるエッセイです。
エッセイ。これがエッセイなのか~。
日本国内で一般にいわれているエッセイとは比べものにならない研究的な文章でした。
そういえば、もともとエッセイは身辺雑記をさす言葉ではない、というような文章を読んだことがあるな。
世界的には、学者が一般人向けに研究内容を紹介するようなものはエッセイに分類されるのかもしれませんね。
ドイツロマン派にはまったく門外漢の私でも、それなりに楽しめる内容でした。
ただ、これはドイツ語のわかる人がドイツ語で読んだほうが絶対に面白いだろうな。
詩の内容だけでなく詩の韻律にも踏み込んだ解説がなされているので、日本語で読んでいても実感できない部分がありました。
とくに重要と思われる部分には原文が添えられていているのですが、それを味わう素地が欠けていれば意味がないというか。
詩って内容も大切だけど響きも大切だからなー。
しかも私はゲーテを読んだことが一度もないという奴でして、そんな奴にこの本は猫に小判、豚に真珠だったなと。
あまりにも有名な『ファウスト』はタイトルだけは存じてましたが、内容はというと「え~?」だったし、その他のドイツロマン派というとノヴァーリスを一冊読んだくらい。自分でも失礼にもほどがあるよなーと感じました。
それでも、ローレライ伝説がでっち上げだというのには驚きましたね。
ローレライというのは精霊や女神ではなくて、怨念のために成仏できない女の幽霊、地縛霊だったんだ。しかもその地縛霊になった女は実在していないとは。
すごいなー。このどんでん返し。
まるでフィクションみたいですね。
読んでいて、私はローレライとセイレーンをごっちゃにしていたんだと思いいたりました。
そのほかにもいろいろと興味深いことがありましたが、あんまり書いてこれから読まれる方の妨げになるのもアレなのでやめときます。
本文の後には訳者による詳細な解説が付されています。
おかげで時代の背景がよくわかりました。
最後に残った感想は、やはり創作者は自分のことしか歌えないんだなということ。
それと、どうも私にはドイツものが合わないんだよなー、何故なんだろうということでした。
現代のドイツファンタジーも読んだけどあんまりぴんと来なかったんですよね。
ハンス・ベンマンの『石と笛』は面白かったけど寓話的な感じがしてファンタジーとして楽しんだような気はしなかったし、ミヒャエル・エンデは自分の感覚が間違っているのかと思うほど肌に合わなかったです。
ファンタジーじゃないシュティフターはけっこう楽しいんだけどな~。
エルンスト・ボイトラー 山下 剛

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読了。
“ライン川を見下ろす断崖に坐る美しい乙女”ドイツ人なら知らぬ者のないローレライ神話。それはゲーテからはじまる詩人たちの創作だった――
ドイツロマン派詩人たちの系譜をローレライ神話を軸に考察する、ドイツ人ゲーテ研究の大家によるエッセイです。
エッセイ。これがエッセイなのか~。
日本国内で一般にいわれているエッセイとは比べものにならない研究的な文章でした。
そういえば、もともとエッセイは身辺雑記をさす言葉ではない、というような文章を読んだことがあるな。
世界的には、学者が一般人向けに研究内容を紹介するようなものはエッセイに分類されるのかもしれませんね。
ドイツロマン派にはまったく門外漢の私でも、それなりに楽しめる内容でした。
ただ、これはドイツ語のわかる人がドイツ語で読んだほうが絶対に面白いだろうな。
詩の内容だけでなく詩の韻律にも踏み込んだ解説がなされているので、日本語で読んでいても実感できない部分がありました。
とくに重要と思われる部分には原文が添えられていているのですが、それを味わう素地が欠けていれば意味がないというか。
詩って内容も大切だけど響きも大切だからなー。
しかも私はゲーテを読んだことが一度もないという奴でして、そんな奴にこの本は猫に小判、豚に真珠だったなと。
あまりにも有名な『ファウスト』はタイトルだけは存じてましたが、内容はというと「え~?」だったし、その他のドイツロマン派というとノヴァーリスを一冊読んだくらい。自分でも失礼にもほどがあるよなーと感じました。
それでも、ローレライ伝説がでっち上げだというのには驚きましたね。
ローレライというのは精霊や女神ではなくて、怨念のために成仏できない女の幽霊、地縛霊だったんだ。しかもその地縛霊になった女は実在していないとは。
すごいなー。このどんでん返し。
まるでフィクションみたいですね。
読んでいて、私はローレライとセイレーンをごっちゃにしていたんだと思いいたりました。
そのほかにもいろいろと興味深いことがありましたが、あんまり書いてこれから読まれる方の妨げになるのもアレなのでやめときます。
本文の後には訳者による詳細な解説が付されています。
おかげで時代の背景がよくわかりました。
最後に残った感想は、やはり創作者は自分のことしか歌えないんだなということ。
それと、どうも私にはドイツものが合わないんだよなー、何故なんだろうということでした。
現代のドイツファンタジーも読んだけどあんまりぴんと来なかったんですよね。
ハンス・ベンマンの『石と笛』は面白かったけど寓話的な感じがしてファンタジーとして楽しんだような気はしなかったし、ミヒャエル・エンデは自分の感覚が間違っているのかと思うほど肌に合わなかったです。
ファンタジーじゃないシュティフターはけっこう楽しいんだけどな~。
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Comment
私もドイツものは…
おお、響子さんもドイツファンタジーが苦手ですか。
たしかにドイツのファンタジーはどこか理屈っぽいというか、そもそも異界への憧憬が感じられないというか、人間至上、みたいなとこがありますよね。
同志がいてよかったーv
たしかにドイツのファンタジーはどこか理屈っぽいというか、そもそも異界への憧憬が感じられないというか、人間至上、みたいなとこがありますよね。
同志がいてよかったーv
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お国柄なんでしょうね、理性的にロジックで組み立てていて理路整然としているから、混沌とした異界の空気がない。
中世に書かれた『ニーベルンゲンの歌』はゲルマン神話のパワーがほとばしっているのに。
もやもやしたあやふやを許せない理が勝った人には、幻想ファンタジーは向いてないんじゃないかと。典型的なのが、『ソフィーの世界』。これは私の好きなファンタジーじゃない、と強烈に思いました。