『ムハンマド イスラームの源流をたずねて』

ムハンマド―イスラームの源流をたずねて (historia)
小杉 泰
4634490102



読了。

世界三大宗教の一つとなったイスラームの開祖ムハンマドを、人間としての軌跡とともに世界的な宗教現象として考察する。新鮮な視点からの伝記。

うさぎ屋さんのところで存在を知って読んでみました。

ラー イラーハ イッラッラー(アッラーの他に神はなし)
ムハンマド ラスール アッラー(ムハンマドは神の使徒である)



イスラームの信仰告白の第一番に来るこの言葉が、まさにイスラームそのものを言い表した言葉なのだなーと実感する一冊でした。

面白かったあ!

ムハンマドという人物は、かつてその関連事物をある程度専門に学んだことのある私にとってもかなり遠い存在でした。おそらく一般の日本人にはもっと遠い存在ではないかと思います。

この本は、ムハンマドの人生をできうるかぎり正確な資料を基に再現した上で、ムハンマド自身が自分をどう感じていたか、周囲の人物がかれをどう認識していたか、さらに世界の宗教史においてムハンマドが果たした役割について、ていねいな考察を行っています。

ムハンマドの人生について、ここに書かれていることひとつひとつはいちおう私の知識のなかにも含まれていることでした。
けれど、その知識は無味乾燥な出来事の羅列であって、講義を受けていた時もそれほど楽しくはなかったという記憶があります。
おそらくその頃の私はまだ未熟で想像力というものが欠落していたのでしょう。そこで何かを疑問に感じ、質問でもしていたらまたちがった地平がひらけていたのかもしれません。

けれど、その時は好奇心を刺激されるような何事をも私は受けとらず、ただ暗記すべき固有名詞や出来事が増えたものとしてしか認識しませんでした。

あのとき、この本があったらなあ。
学生の時にこの本を読んでいたら、私は暴走する妄想の虜になっていたんじゃないかと想像します(苦笑。

この本に描かれているムハンマドは、厳格な世界宗教の開祖ではなく、とまどいながらも与えられた役割を受け入れ、果たそうと努めつづけた、ひとりの人間です。
とりたてて傑出した人格があったわけではなく、そうなるべく努力した男がいたということが記されているのです。

ムハンマドの存在が遠かったのは、かれが徹頭徹尾「自分は人間であるが、神の使徒でもある」と示し続けていたから、キリストのように神格化されずに来たためであるらしい。ようするに地味なんですよね。

しかし、宗教事象としてのムハンマドにふれた文章では、その存在の大きさに眼から鱗が落ちまくりました。

預言者という概念そのものがムハンマドから端を発しているなんて、いままで考えたこともありませんでした。
だって、ムハンマド自身が自分は最後の預言者であるといっていたし、先人としてアダムやモーゼの名前を挙げているんですよ。
なのに、ムハンマドが現れるまではかれらは預言者としては認識されていなかったなんて!

過去のことを扱っているから歴史なんて変わらないと思う事なかれ。
テキストを読み解く視点の違いによって、いかようにも歴史は変化していくんですね。

そういえば、先日読んだ酒見賢一『泣き虫弱虫諸葛孔明』にも書いてありました。
歴史は書かれた時から史実ではない、と。

とりあえず、以下に目次をあげておきます。


1 家庭の人
2 啓示の器
3 神の使徒
4 戦いと裁定
5 ムハンマドの実像を求めて
6 人類史のなかのムハンマド

あとがき
参考文献




イスラーム初心者にもすこしイスラームを囓ったことのある方にもお薦めの一冊です。

個人的に、ムハンマドって「どうして自分なんだ」と悩みながらも、みんなのために前進しつづけせざるを得なかった苦労性のひとみたいな気がしました。
まるで、どこかの誰かみたいだわ~。

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