『獣の奏者 IV 完結編』

獣の奏者 (4)完結編
上橋 菜穂子
4062156334



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いただいて読了。


聖獣と闘蛇、謎に包まれた生き物を象徴とするふたつの系譜に率いられてきた王国で、けして操れないとされていた聖獣と心を通わせたために苦難の道を歩むことになる女性エリンの生を描く、異世界ファンタジー。完結編。


侵略を企てるラーザの軍隊に対抗するため、聖獣を戦闘力として組み込むことを決定したリョザ神王国。エリンは真王セィミヤの命により、リランたち聖獣を繁殖させ自在に操る訓練を重ねつつ、予言された悲劇の真実とそれを回避する術を探りつづける。エリンの息子ジェシは聖獣に没頭する母親と闘蛇使いとなって家を離れた父親イアルに置いていかれた寂しさを、リランの子供アルによって癒していた。




うーん、やはりこうなってしまったか。
ある程度予想はついていましたが回避するすべを模索しつづけるエリンの姿に、もしかして、と一縷ののぞみを抱いていたのですが。

ひとのできることには限界がある。ひとりの人間ならば限界はすぐに見えてくる。
エリンの苦悩はすべてをひとりで背負い込むことになったこと、すべてをまっさらな状態で始めなければならなかったこと。そして刻々と変化する状況が、猶予を与えてくれなかったことだと思いました。

人間には知識欲があるけれども、すべてのひとが一から始めていたのではまったく進歩がありません。そこに記録し伝えていくという行為があってこそ、ひとの経験は受け継がれ大きく前進していくのだと、エリン自身も知っています。

失われてしまった歴史的な知識の、いかに価値高く尊かったことか。
その知識が失われたのは、直接的には不幸な事件が原因ではありますが、まず第一に為政者たちが知識を独占していたためでした。

それが情報開示が重要である理由なのですね。

その知識が秘密でなければ、どこかでだれかが道を誤ってもそれを指摘し正そうとするものも現れるはずだから。

知らないということはどれだけおそろしいことなのか。
それを身を持って示した上で、現実を受けとめる潔さがエリンにも真王セィミヤにもあって、それがこの物語が理想を示すことのできるファンタジーである理由だと感じました。

現実社会ではたいてい命じたものはなんだかんだいって責任逃れをしてしまうものです……。

たいそう重たいテーマを重たく扱っているお話でした。

まるで大作映画のようなスケールで、上下巻を一気に読まなかったことを少々後悔いたしました。
ひと休みしてから読み出した下巻の冒頭で一気にとんでいく時間経過に、ちょっと呆然としてしまったので。

たぶん、時間がないというエリンの焦りをあらわすためだったろうと思うのですが、ここのあたりでもう少しエリン一家に感情移入できるシーンがあれば嬉しかったなとちょっと残念。ひとつひとつのシーンのブツ切れ感とか、描写の減少とか、ワタシ的に残念なところでした。

このシーンのブツ切れ感が総集編みたいな印象につながって、最終的にはクライマックスでの登場人物たち――エリンたちとの距離感に繋がってしまったような気がします。

だから映画みたいだなあと――思ったわけですが。

ここからはさらに余計な話ですが、この話を統一感を持ったすべて地続きの話として提示するにはとか、いろいろ考えてしまいました。

とても面白かったので、残念な部分が残念すぎてしまうようです。

さらに余談。
異世界的普通名詞で〈獣ノ医術師〉というふうに「ノ」でつなげる書き方が、個人的に『パーンの竜騎士』シリーズを彷彿とさせられて萌えましたw

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