『闇の左手』

闇の左手 (ハヤカワ文庫 SF (252))
Ursula K. Le Guin
415010252X



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読了。


異なる生態を持つヒューマノイド型異星人との困難な関係作りと友情をはぐくむ過程を、冷静かつシビアに描く、SF小説。
1969年に書かれたアーシュラ・K・ル・グィンの出世作。



惑星〈冬〉には、雌雄同体の身体を持ち極寒の気候に適応した生活と文化を長く育んできた高度な文明をもつゲセン人が住んでいる。地球人ゲンリー・アイはかつて宇宙中に散ったハイン人の末裔と外交関係を築くために連合エクーメンから派遣された使節である。アイは〈冬〉の一王国カルハイドにて王との繋がりを求めていたが、そのためにつてとして頼ってきた宰相エストラーベンが突然失脚し、追放されてしまう。身の危険を覚えたアイはカルハイドから隣国オルゴレインへと脱出する。




再読です。

書かれてからすでに四十年経っているわけで、大枠の設定などにすこし古さなどを感じたりもしましたが、作品そのものの持っている深み、象徴、それをあらわす技巧、などにはいささかも古びたところはないと感じました。

まとめてしまえばこれは異文化接触の話ですよね。
異文化を持つ相手が地球人とは生物的に異なる点があり、その原因が地球とはかけ離れた気候のせいであるという設定。

ゲセン人の雌雄同体の生態の根底にはフェミニズムを感じますが、ル・グィンの優れたところはこんなに異なる肉体をもつ人々の生み出す倫理観やら死生観やらを、歴史や伝説として昇華して提示することができる点にあるのだなーと思いました。

ゲンリー・アイ視点の章と〈冬〉側の資料とが交互に提示されるという構成で話は進みます。
物語全体の雰囲気はどこまでも知的で静かで厳しく、重々しい。

こうした展開ではスピード感は望めないけれど、うわつくことのない手触り、話の真実味に深く貢献していると思います。

それぞれに自分たちの文化を背負って、なおかつ歩みよろうと努力を重ねるゲンリー・アイとエストラーベンの、誤解と不審のはてにゆきついたところに、感慨を覚える話でした。

それにしても、ル・グィンの逃避行の描写はいつもながら苛酷さに半端が無いですね。
いつもながらというか、この話がそもそもの原点なのかも知れませんが、辛くて苦しくて痛々しい旅は主人公たちがくぐり抜けなければならない試練であると同時に、たどりつく目的地の価値にも結びついているのかもなどと思ってしまうことでした。

それと最近のル・グィンの作品に通じるモチーフがけっこうたくさん潜んでいたのが興味深かったです。


最初に読んだのは高校生の時でしたが、その時の印象はなんて暗くて寒い、地味な話なんだろう、というものでした。
高校生の私はまったく頭が耕されていなかったんだな。
ここに記された深いテーマも、興味深い出来事も、まったく理解できていなかったんだ。
あのころの私が面白がれたのは、ストーリーテリングでひっぱる話が多かった気がします。

時機を得ない読書って、無意味だなとしみじみ感じました。
一度つまんないとおもった本でも、別の機会に読み直すと発見があるかもしれないです。

というわけで、今回私はこの本の中身にようやく触れることができた、と思います。


余談。

SFに出てくる異星人はだいたいヒューマノイドタイプで、突飛な設定を現実で支えられるならばファンタジーにしてもいいんじゃないかなと思うことがあるわけですが、このル・グィンの「ハイニッシュ・ユニバース」シリーズの場合はヒューマノイドである点にもきちんと理由設定があったんですね。巻末解説で知りました。(以前にも読んでいるはずなのにぜんぜん覚えてませんでした。内容を忘れているのに解説を覚えているわけがない;)

この高度な文明を築いたハイン人の設定は、スケールが桁外れで気が遠くなりそうですが、でも筋は通っている。

また関係ないけど、ヒューマノイドでない異星人たちがでてくる話って、どんなのがありましたっけ?
私が思い出せるのはピアズ・アンソニイ「クラスター・サーガ」だけだなー。
べつに読みたいわけではないんですが、なんとなく思いついたので書いてみました。

さらに余談。

私の持ってる本は1983年のハヤカワSFフェアのときのものなんですが、カバーイラストがすごく渋くてよくこんなのに手を出したなあ私、と思います。
ぜんぜん美形じゃないゲンリー・アイの冬支度ワンショットなんですよ。いまみると、毛皮の帽子を被ってるわりに耳が丸出しで、これちょっとまずいんじゃないかとふと思ったりした。

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