『晏子 4』

晏子〈第4巻〉 (新潮文庫)
宮城谷 昌光
4101444242


[Amazon]


読了。

古代中国の稀代の聖人・晏瑛の生涯を、陰謀と戦乱の斉の国の来し方行く末とともに描く、歴史小説。


妻を君主に奪われつづける恨みに突き動かされて、ついに崔杼が行動を開始。
『晏子』最終巻は、めまぐるしくも血なまぐさい斉の権力闘争と、信念によって道を貫き通した晏瑛のひとばなれした存在感が印象的でした。

やはりクライマックスは崔杼の反乱だろうと思います。
かれの屋敷での攻防はスピード感があって手に汗握りました。

そして、この闘争の中で、どちらの陣営に着くかに家の存亡をかける大夫たちの、欲深だったり日和見だったり視野狭窄だったりする姿がこっけいで、それらと一線を画す晏瑛の姿が浮かびあがるという仕組み。

さらにつねに理性の人だった崔杼が情によって権力を奪ったのちの展開には、欲が人を滅するという作品のテーマが現れているように感じました。

こうして右往左往する人間たちのドラマは、しようがないけれどじつに人間らしく、哀れで愛おしい気がします。

いっぽう、状況に流されずにつねに立ち位置を不動とする晏瑛は、あまりにも偉大すぎて共感する余地がありません(汗。

このひと、ほんとに人間ですか?
あ、聖人でしたね……。

ほとんど表舞台に出てこない晏瑛が圧倒的に存在できるのは、かれを浮かびあがらせるしようもない人間界があるからです。

とくに崔杼という悪役がかれの対抗馬としてあるときに、晏瑛はなにもせずとも光ってしまう。

晏瑛はみずから行動するひとではないからかなー。

そうして崔杼が退場し、晏瑛の身分に変動がなくなると、晏瑛の存在も日常に埋没し、小説は歴史を俯瞰する後世の著者の眼からの著述が多くなり、数々の逸話を持って話が締めくくられていきます。

宮城谷作品を読むといつも思うんだけども、登場人物によりそった臨場感と動きのある印象的なシーンで始まるのに、最後には視点がその時代からも土地からも人物からもかけ離れたところに遠離ってしまうのが残念です。わたしはその人物の歴史的評価とか後世の歴史家の評とかはあんまり興味がなく、その場その場の情景やひとのかかわかりなどを読みたいので、俯瞰視点になると醒めてしまうんですよね。

ただ、今回の景公のエピソードのしめくくりはよかったと思う。
景公にとって、もしかすると斉にとっても、晏瑛は導いてくれる保護者だったんですねえ。
このあと斉の国がとても不安ではありますが、歴史小説ってめでたしめでたしで終わらないんだよね。日常に戻ってくるんだから。

あるいは最後が破滅であるほうが物語的には陶酔できるのかなと思いました。

余談。
この文庫版のあとがきは担当だった編集者によるものですが、本文の引用の多さにちと困惑しました。それをまたいちいち解説してくれるのも、うーん。しかも連載のようにどの巻にもついているし。担当した本に思い入れがあるのはわかりますが、それって読み手には関係のないことだと思うのです。

Comment

Comment Form

管理者にだけ表示を許可する

Trackback


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)