『私の日本語雑記』

私の日本語雑記
中井 久夫
4000257722


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読了。

精神科医で、エッセイスト、翻訳家としても知られる著者が、ご自分の言語体験から言語についてのいろいろを考察する明晰で具体的なエッセイ。岩波書店『図書』連載をまとめたもの。

目次は以下の通りです。


1 間投詞から始める
2 センテンスを終える難しさ
3 日本語文を組み立てる
4 動詞の活用形を考えてみる
5 言語は風雪に耐えなければならない
6 生き残る言語――日本語のしたたかさとアキレス腱
7 では古典語はどうなんだろうか
8 最初の精神医学書翻訳
9 私の人格形成期の言語体験
10 訳詩体験から詩をかいまみる
11 文化移転としての詩の翻訳について
12 訳詩という過程
13 翻訳における緊張と惑い
14 われわれはどうして小説を読めるのか
15 日本語長詩の実現性
16 言語と文字の起源について
17 絵画と比べての言語の特性について
18 日本語文を書くための古いノートから

あとがき



わたしが初めて氏の文章に触れたのがここに収録されている「センテンスを終える難しさ」でした。
読んだ時の驚き、言葉遣いに対する共感からその先へと誘ってくれる具体的な指摘にふおおと興奮をしたことを覚えています。

そのエッセイがやっとまとめられて本になりました。

出会いのあと、この連載は読めたり読めなかったりしていましたが、その間にべつのエッセイを読んで、わたしなりに氏のひととなりにふれてきたと思います。

そのうえであらためてわたしにとっての原点に戻ってきて、やはりすごく面白いなあ、と思いました。

言語学の本を読んだことのないわたしは、言語学の常識を知りません。
なのでもっぱら、自分の体験を元に読んでいるわけですが、これがもう、そうかなるほど、とめから鱗が落ちることバシバシなのです。

思うに、氏の精神科医であるというベースがこの文章の大きな基盤になっているのではないかと推察します。

精神科医は問診が中心です。
患者との対話は、発語された言葉のみならず、声の調子、ひびき、身体言語、などなどさまざまな要素を読みとっていく地道な作業の連続なのだそうです。

そのことを職業として熟練することが、言葉への感受性を研ぎ澄ませることになるのは必然であるような気がします。
あるいは、感受性が豊かでなければ精神科医はつとまらないのかもしれません。

おいたち、家庭環境、修学環境、などなどにより複雑な言語体験をくぐり抜けてきたことも、それを常に意識しつづけてきたことも、氏の言語感覚を研ぎ澄ませていったように感じられます。

日本語の文章を書く時に苦労するポイント。
近代の日本語は漢文読み下し文から作られたこと。
ある言語の文章を日本語に翻訳することは文化の移転であること。
翻訳には元言語のスペシャリストであることよりも、元言語への憧れのほうが必要であろうということ。

言語の身体性が薄れて記号化していく現代についての記述には、ちょっと危機感を覚えたりもしました。
たしかに、こうしてパソコンでキーボードをうつことから生まれる文章には、発語の快不快も、文字を書くときに生まれる感覚も、あまり感じられないなーと。

どの項目もとても興味深く、どきどきしながら読みました。

他人へ向けて意志的に文章を書こうとするときに、いろいろヒントになることが多かったです。

ただ、わたしの低スペック頭脳ではここに書かれていることをきちんと覚えていられないだろうと、すでにわかっているのが残念無念です。

こういう本は手元に置いておいて、折に触れて読み返すものなのだろうなーと思いました。

ところで、この本の表紙とあちらこちらに挿入されたカットは氏自身の手によるもの。
すみっこのクレジットを見つけて驚きましたv

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