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『終わり続ける世界のなかで』

終わり続ける世界のなかで
粕谷 知世
4104506028


[Amazon]

読了。

高度成長期に生まれて終末予言に恐怖する女の子が、生きている意味をもとめてもがき苦しみながらすごしてゆく青春の物語。


1980年。新興住宅地に住む小学生の女の子・岡島伊吹はテレビでみたノストラダムスの大予言にショックを受けていた。1999年に世界は滅びてしまうのだ。自分は三十までは生きられないのだ。恐怖にふるえる伊吹に、親友の瑞恵は意外なことを主張した。だったら世界が滅びないように努力をするべきなのではないかと。美人で頭も良く、周囲の信頼も厚い憧れの親友の言葉に伊吹はうなずいた。それからふたりは世界を救うために自分たちが出来ることを模索しはじめた。



これは凄かった……。

1969年に生まれて、センシティブな時期に終末予言に出会い、恐怖から抜け出せずにつねに生きていくことの意味を考えてしまう主人公と、その彼女が出会う同世代のさまざまな人間、かれらの生きている時代が密接に絡み合って、つねに緊張感をたもったままつづいていく物語です。

終末への恐怖。
それをあおるようにおとずれる終末の幻視。
だれも理解してくれないという孤独感。
ただひとりの理解者と信じた友人との行き違い。

そして――。

同世代の若者との切りつけあうようなかかわり合いが描かれていく学生時代には、青春という濃密な時間の記憶がひりひりするように再現されていて、冷静には読めませんでした。

社会人になってからの展開は、おもに個人的理由であまり感情移入が出来なかったのですが。

大人になったはずなのにぜんぜん以前と変わらない自分、その自分を騙して大人を装っている自分への息苦しさや軽蔑、こんなはずじゃなかったと思いながら日々を過ごしていく重苦しさなどには、思い当たるところが多々ありました。

そして、この話のもうひとつの主役は、主人公たちが歩んできた時代そのものなのですね。
時代の流れはかれらの生活に密接にかかわりがあって、話そのものにもおおきなウエイトを占めています。
はしばしに当時の風俗や流行が紛れ込み、あのころに起きたたくさんのことが主人公の歩みに大きな影響を及ぼしていて。

読んでいて、わたしも確かにあの時代を生きていたなーとしみじみしました。

わたしはノストラダムスの大予言を真に受けたことは一度もないけれど、世界とその終末への恐怖は誰もが持っているものだ、という示唆には目からうろこが落ちました。

ひとは必ず死ぬのに何故生きていくのか。
生きていることに意味はあるのか。それはなんなのか。

なんども繰り返される問いに答えの出ない苛立ちと焦りをわたしもまた抱えています。

自分はなんのために生きているのか、生きていきたいのかという問いは、自分はここで生きていていいのか、生きている価値があるのかという不安の裏返しなのかな。

終盤はいささか急展開になったような気がするけれど、ラストで示唆されるひとつの見解には、ひとつの安堵を与えてもらったような気がします。

同時に「ロシアの神話」を読んでいたせいで、宗教の起源をいろいろ考えさせられたりしてました。

面白かったです。

ところで、これはファンタジーに分類してもいいのだろうか……。


残念ながら品切れ中ですが、こちらは同世代の子供時代に焦点を当てたちょっと不思議で、現実はシビアな、でも心温まる短編集。
ひなのころ (中公文庫)
粕谷 知世
4122049733

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