『熊から王へ カイエ・ソバージュII』

熊から王へ―カイエ・ソバージュ〈2〉 (講談社選書メチエ)
中沢 新一
4062582392

[Amazon]


読了。

宗教学者による講義集の二集め。

今回は非常に民主的な神話の時代から人間が変化してついに王が生まれる過程を神話伝説がどう解決しようとしてきたかを考察しています。

動物たちとエレガントにつきあえる社会を対称性の社会、動物を支配搾取の対象と見るようになった王のいる社会を非対称性の社会と呼んで、野蛮という行為は文明が生まれるとともに発生したものであると、現代人の対称性社会に対する蔑視を根拠のないものとしてしりぞける講義でした。

読んでいて対称性の社会とはアボリジニーのものそのものではないかという気がしました。
アボリジニーの祖先がどういうひとたちかは存じませんが、ドリームタイムの考えからして非対称性社会の考えと酷似しています。王を持たなかったネイティヴアメリカンの社会のシステムとアボリジニーのそれもほとんどそっくり。

とすると石器時代の文化を理性と節度を持って継続してきた人たちは地球上に存外たくさん生きていたのですねえ。

『アボリジニーの世界』ではかなり過激な論調だったため、いささか荒唐無稽ではないかとおもわれた石器時代至上説ですが、こちらの文脈を追いかけてみると、なるほどそういうことならと得心いたしました。

ようするに人間も環境の一部として謙虚にふるまうべきであり、それが優雅な生き方であるってことですよねえ。

その謙虚さがテクノロジーによって破壊されてしまう過程はまさに楽園喪失。
人間はクニをつくってからこのかた、常に飢えているもののように傲慢に貪欲に存在してきたんだなー。

クニ成立の根幹である王の存在が、ここまで楽園にとって異常で修復不可能なものであることには、正直かなりショックを受けました。

でもいまの地球情勢をかんがみるに、なるほどなーとうなずけることばかり。

暗澹としてしまったところで唯一の希望となったのは、さいごにあげられた仏教の存在でした。
ゴータマ・ブッダの生国はじつはチベット系の小国だったという記述におどろくくらい、仏教のことに無知な私ですが、最近ちょっと仏教の教えの根本などを知りたいなと思っていたこともあり、なかなか興味深く読めました。

でも、この巻はそうじて読み進めるのに苦労したのだった。
体調が悪かったからか読み始めるとかならず寝てしまって。

なので三巻に進むかどうかをちと悩み中。

とりあえず、下に目次を記しておきます。


序章 ニューヨークからベーリング海へ
第一章 失われた対称性を求めて
第二章 原書、神は熊であった
第三章 「対称性の人類学」入門
第四章 海岸の決闘
第五章 王にならなかった首長
第六章 環太平洋の神話学へ I
第七章 環太平洋の神話学へ II
第八章 「人食い」としての王
終章 「野性の思考」としての仏教

補論 熊の主題をめぐる変奏曲 

索引




愛と経済のロゴス―カイエ・ソバージュ〈3〉 (講談社選書メチエ)
中沢 新一
4062582600

Comment

Comment Form

管理者にだけ表示を許可する

Trackback


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)